仕事が嫌になった真の理由
一度は残留を決意したのに、何故また辞めたくなったか。
それは心の中にあった真の理由に気づいたからだった。
どこまで書こうか。
一度目の転職活動でのカジュアル面談で、ソフト子会社はSIerである、と知った。
自分ではユーザー(親会社)と密接になってシステムを開発してきたつもりだった。
そういうことを全体的にも推奨されていたように思う。
- 事業部に入り込んで設計・仕様を提案
- 事業部の立場で考えろ
そんなワードが良く出てくる。
でも、いやらしい話、給料は親会社がはるかに良い。
成果に対する評価も基本的には企画・推進している親会社のものだ。
では我々ソフト子会社のメリットって?
それはやりがいなのか?ものづくりのやりがい?
請負のソフトウエア開発には発注側(親会社)と受注側(子会社)が存在する。
当たり前の話。
これはどちらもプロフェッショナルであるべきだと思う。
発注側は責任もってソフトで作ってもらいたいことを取りまとめて発注をする。
受注側は責任もってソフトウエアを完成させる。
理想論ではこれがあるべき姿。
ただ、これはよく言われているように上手くいかないことがある。
何も自分の会社だけの話ではない。
このあたりは日経クロステックを読むとトラブル事例がたくさんある。
例えば、某病院のシステム更改の話とか。
ざっくりいうと
- 発注側は要求仕様をとりまとめられない
- ベンダーに協力せず、ベンダーに押し付け
- 各部門が自分のやりたいことを言って譲らず、現行通りを強く要求する
- 本番稼働直前、各所で不満が噴出
みたいな。
自分が受注側にいたので、発注側に非があるような書き方になっているけど。
こういう事例を読んだり、自分の仕事のことを考えていくと、以下のような考えを持つようになった。
発注側にソフトウエアがわかる人が必要だ
ソフトウエアのことがわからなくても、ソフトウエアの受発注に対してどこまで責任を考えているか。
請負じゃないのならどれだけ密にプロジェクトを運営していくか。
それもだめなら、どうやりがいを請負先に与えられるか。
自分の発注元のこと。
一応ソフト担当はいる。
でも発注元として責任を果たしているとは思えない。
何をしているんだろう?事務作業?
その人たちの代わりに入り込んでプロジェクトを前に進めることは
全体でみたらありがたいことなんだろうけど、やりがいの搾取では?
そんなことを考えているうちに、「自分が発注側になりたい」と思うようになった。
これは数年前からたまに考えていたことなのだけど、そう思うことが多くなった。
公務員になって役所のシステム開発を企画したいとも思った。
これは結構本気になって色々調べたけど、公務員になるには年齢とか試験とかタイミングとかが合わないと難しい。
常時募集しているわけではないので。
そんなわけで、できる限り上流の仕事を目指してみよう、できれば親会社のような立場に行こうということを思うようになった。
請負の話とかはまたどこかで書こうと思う。